教えることは 学ぶ事
カラリパヤットゥ修行中の身でありながら、
グルカル・シェリフ先生の命にて 日本でカラリパヤットゥを教えて数年たちました。
クラスを通じて、
カラリパヤットゥについてだけでなく、自分の精神的な向上にも
とてもとても多くのことを楽しく学んでいます。
私にとっては、『教える』というより 『カラリパヤットゥを伝える』という意識が強いかな。
クラスでカラリを伝えていると、毎回発見の連続です。
参加者からのご感想や ちょっとしたつぶやきを聞くことも、
私にとっては、新しい世界を見せてもらうことにつながり、勉強になります。
人って本当に多種多様だなあ、と感心します。
同じ事を伝えても、人によって理解や解釈が微妙に、時には大きく違うことに、
新鮮な感動を覚える事すらあります。
どんな理解や解釈も 決して間違いではなく、
参加者の理解や解釈を示していただく事は、
各人に対して、どのように伝えたらいいか、という
こちらの想像力、解釈の広さを鍛えられることで、世界が広がります。
いかんせん、自分自身の言語表現力のなさに 時折がっくりしますが、^^;
参加者の皆さんも、歩み寄ってくれるし、
それもまたコミュニケーションの楽しさに繋げて 世界を広げるよう 努力してます。
カラリパヤットゥは、動いてこそ、のものなので、
言葉や動きを見聞きして、動いていただくのですが、
こちらの想像を超えた反応もあり、これまた新しい発見の連続です。
私が伝え損なっているのが原因のこともありますし、
身体の癖から発生する場合、緊張している故の動きの場合もあります。
それを見極めながら、引いたり押したり、試行錯誤して 伝えるように努力します。
クラスって、参加者が一番の主役なんですよね。
だから、自分はなるべく引くように、
伝えるポイントは抑えながら、参加者の自由さを尊重したいと思いながら進めてます。
いつかインストラクターになりたい、と思って参加している人には、
私に欠けている部分を ぜひぜひ越えて 私とは違った味のインストラクターになって
カラリパヤットゥの面白さと 身体の可能性の広がりを 伝えていって欲しいです。
グルカル・シェリフ先生の命にて 日本でカラリパヤットゥを教えて数年たちました。
クラスを通じて、
カラリパヤットゥについてだけでなく、自分の精神的な向上にも
とてもとても多くのことを楽しく学んでいます。
私にとっては、『教える』というより 『カラリパヤットゥを伝える』という意識が強いかな。
クラスでカラリを伝えていると、毎回発見の連続です。
参加者からのご感想や ちょっとしたつぶやきを聞くことも、
私にとっては、新しい世界を見せてもらうことにつながり、勉強になります。
人って本当に多種多様だなあ、と感心します。
同じ事を伝えても、人によって理解や解釈が微妙に、時には大きく違うことに、
新鮮な感動を覚える事すらあります。
どんな理解や解釈も 決して間違いではなく、
参加者の理解や解釈を示していただく事は、
各人に対して、どのように伝えたらいいか、という
こちらの想像力、解釈の広さを鍛えられることで、世界が広がります。
いかんせん、自分自身の言語表現力のなさに 時折がっくりしますが、^^;
参加者の皆さんも、歩み寄ってくれるし、
それもまたコミュニケーションの楽しさに繋げて 世界を広げるよう 努力してます。
カラリパヤットゥは、動いてこそ、のものなので、
言葉や動きを見聞きして、動いていただくのですが、
こちらの想像を超えた反応もあり、これまた新しい発見の連続です。
私が伝え損なっているのが原因のこともありますし、
身体の癖から発生する場合、緊張している故の動きの場合もあります。
それを見極めながら、引いたり押したり、試行錯誤して 伝えるように努力します。
クラスって、参加者が一番の主役なんですよね。
だから、自分はなるべく引くように、
伝えるポイントは抑えながら、参加者の自由さを尊重したいと思いながら進めてます。
いつかインストラクターになりたい、と思って参加している人には、
私に欠けている部分を ぜひぜひ越えて 私とは違った味のインストラクターになって
カラリパヤットゥの面白さと 身体の可能性の広がりを 伝えていって欲しいです。
- 2013.04.28 Sunday
- 日記 journal
- 16:52
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- by あきこ